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【映画】「男たちの大和/YAMATO」凄惨な描写は、史実を知るとさらに凄惨だ。

※当然のことながらネタバレを含むので、未視聴の場合には閲覧に注意されたい。
戦艦 大和。
名前のかっこよさに加えて、文句無しに当時世界最大の超弩級戦艦だったというエピソードもあいまって、ファンは多い。
 
 
大和の最期は1945年4月7日、天一号作戦によって、沖縄方面へ出撃し、坊ノ岬沖海戦で撃沈されるというものだった。
 
本作、「男たちの大和/YAMATO」は、2005年、大和沈没の日直前に、大和が沈没した場所へ連れて行って欲しいという女性が漁協を訪れるところから物語がスタートする。この女性は大和の乗組員の養女であり、死亡した養父が「大和の沈没地点に散骨してほしい」と遺言したことから、この女性はここを訪れたのだった。

 

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序盤はどことなくドキュメンタリーっぽくも見える展開。途中からは視点が大和出撃前後に移って進行、物語最終面ではまた現代に視点が戻るという演出だ。
 
役者の見どころとしては、やっぱり森脇主計兵曹を演じる反町隆史氏、内田二等兵曹を演じる中村獅童氏、神尾年少兵を演じる松山ケンイチ氏あたりだろうか。チョイ役だけど、臼淵磐海軍大尉を長嶋一茂氏が演じている。
 
展開としては、大和出撃や沈没後の乗組員の心情描写なども見どころだけれど、やっぱりメインは、坊ノ岬沖海戦で「海上特攻」を行い、アメリカ軍航空機群から壮絶な空襲を受けるシーンだろう。
 
もともと、この時代の海上戦闘においては、戦艦にどれだけ装甲や対空砲を積んでも、航空機・潜水艦には分が悪く、爆撃には強い戦艦も魚雷は弱点も弱点。航空機による攻撃が海上戦闘のメインになってきたことから、高角砲と対空機関砲をマシマシにした重巡洋艦「摩耶」の最期も、潜水艦による雷撃だったわけだけど、その攻撃手段である魚雷が航空機から投下されるとなれば、図体が大きい戦艦はまさに狙い撃ちというわけだ。
 
 
劇中においては、アメリカ軍のアヴェンジャー雷撃機の当初発見が40機、実際の投入戦力は全体で377機とも言われている。劇中の対空戦闘のシーンでは、それなりにアメリカ軍航空機を叩き落としているように見えるのだけど、実際にアメリカ軍航空機が損失として報告しているのは13機以上。大和一隻と4,000名以上の戦死者を出しても、航空機を撃墜するのはそれだけ難しかったともいえるか。
 
対空戦闘についてもう少し。大和はこの劇中で、「三式弾」を搭載、射撃している。三式弾は焼霰弾とも呼ばれる榴散弾で、帆走軍艦時代に使われた「ぶどう弾」と同様に、要するに射撃した後に内蔵している弾を撒き散らすタイプの砲弾だ。三式弾はこの弾を撒き散らすという性質を対空目標への攻撃に利用したタイプの砲弾で、開発当時はおそらく大きく期待されたのだろうけど、実戦投入しても米軍機は損害はほとんどなかったと証言している。「花火みたいなもんだったぜ」という証言もあったとされ、日本軍側としては泣くに泣けないといったところか。
 
ちなみに、ちょくちょく不正確な描写があったりするのだけど、対空砲手・装填手が甲板に総動員された後で、主砲三式弾を砲撃すると衝撃波で甲板上の兵士はおそらく全滅する。まぁこのあたりは細かすぎるけど。実際の順序としては、射程の長い主砲・高角砲での射撃→さらに肉薄された際に兵士が甲板上に出て機銃による対空戦闘となっただろう。つまり至近距離まで接近されたら、高角砲はまだしも主砲は対空戦闘には使えない。
 
生き残った大和乗員とか、海軍軍人によると、当時の対空戦闘について、「そもそも機銃弾がないから射撃できなかった」というような話もある。生産力が元々アメリカ軍に明らかに劣っていて、おまけに空襲で工場施設なんかにも被害を出していた当時としては、さもありなんといったところ。
 
この映画を見て「なんで対空砲に防盾(装甲板)付けないんだよ!やっぱり昔から日本軍は人命軽視だ!」とか言ってる人を見たことがあるが、完全に的外れである。当時の航空機、特に地上目標・海上目標に攻撃を行う攻撃機/雷撃機に搭載されていた「ブローニングM2重機関銃」だが、これは拳銃や歩兵用ライフルなどとは比較にならない貫通力を持っている。
 
適当な鉄板や鋼板でも置いておけば多少マシだろと思うかもしれないが、スパスパ抜かれてまったく遮蔽として役に立たないばかりか、対空砲手の視界を奪うし船体重量も増すから何もいいことがない。土嚢のほうがまだマシまであるが、ただでさえ揺れる海上で爆弾だの魚雷くらったら土嚢なんて全部ひっくり返るしね。なんとか12.7mmで抜かれないような装甲板を作って並べても、結局戦艦に引導を渡すのは魚雷や爆弾であるのだから、はっきりいって意味がないうえにコスパも悪い。コンクリートとかで対空砲を完全にカバーできるトーチカみたいな設備だったら意味があったかもしれないが、それもう船として浮かばないだろっていう。
 
といった具合で、どうあっても不利な戦いに望む大和とその乗員の悲劇がこれでもかといった具合に描かれる。まだ若い乗員が泣き叫びながらそれでも対空機銃の弾を込めたり、負傷兵を探しに出た衛生兵が呼びかけに応えるものがなく立ち尽くした後に自身も機銃弾の餌食になるシーンなどは、さすがの演出といった感じ。
 
内田・森脇・神尾の三人が最期の反抗として対空機銃を振るうシーンは、もはや結末は何も変わらないけれど、それでも最期まで戦うという男性的勇敢さを象徴するようなシーンともいえそう。もちろん名シーンのひとつと思う。
 
ただ。
 
この映画の口コミだったか、Youtubeでのコメントだったかツイートだったか忘れてしまったが、「旧軍人だった爺さんに見せたら、『死の臭いがしない』と言ってた」という評価があって、それがすごく記憶に残っている。
 
もちろん映画なので、役者は死んでいない。血糊を吹き付けて寝転がっているだけだ。だから死の臭いなんてするわけないし、それを表現するのは至難だ。映画として語るなら、あの品質で文句の付けようはない。
 
だけれども、確かに当時の攻撃機・雷撃機から12.7mm機銃の掃射を受けた場合、人間はドラマで撃たれた人みたいに「立ち尽くして膝から崩れ落ちる」ことはなく、実際には、「弾ける」のだそう。つまり、水風船みたいにバーンといくわけだ。(さすがに当たりどころによるし、2,3発同時に喰らったときの話だと思うけどね。)人体の60%が水分ということから考えれば無理からぬこと。そんなものを映画で表現しようとしたら、むしろ「嘘くさく」なってしまうのだろう。事実は小説より奇なりとはまさにこのことか。
 
もっとも、この映画で描きたかったことは、製作側によれば「兵士一人ひとり」であったという。だとすれば、そのあたりのリアリティはそれほど重要ではなかったのかも…ともいえるけれど。うーん、どうなのだろう。厳しくも頼もしかった上官や先輩・同僚が、戦闘中に隣で一瞬のうちに「血煙に変わる」描写は、兵士の実体験としてむしろメイン級に記憶に残るものなんじゃないかとも思うけど。
 
と、いろいろと文句じみたことを言っているのだけど、個人的には「見て損はない」と思う。
終戦から年月が経って、「戦艦大和」どころか、「宇宙戦艦ヤマト」の名前や、「ヤマト」という言葉の由来すら知らない人が増える中で、この「巨艦」がいかに戦い、いかに沈んだか、そしてそれは単純な大型構造物の破壊という無機質なものではなく、そこに乗艦する多くの人命の血煙に濡れていたということを後世に伝えていくことにはもちろん意義がある。
 
ただ、欲を言うならもう少し、ほんのあと少しだけメッセージ性が欲しかった。せっかく家族など残る人とのやり取りを描いたのに、彼らが戦いに赴く上で何を感じたり、何を思ったのか、その複雑な心境にもうちょっとねちっこく迫ってほしかった。後半になって急に、「軍人ってこうだったんだろうなぁ」っていう表層から喋らせているように感じてしまった。
 
構造物としての大和に対する執念は感じたのに、肝心のテーマである「兵士一人ひとり」の心情があっさりしている。そこがあとほんの少し増すだけで、文句なし殿堂入りになったと思う。…まぁ、興行収入的には成功だったんだろうから、後からそんなことを言っても…なのだけれどね。