※当然のことながらネタバレを含むので、未視聴の場合は閲覧に注意されたい
いや、そんなこと言ってももうかなり昔(1996年)の作品だし超有名作品なので、ネタバレもへったくれもあるかって話なんだが。
そもそもすでに不動の名作級映画にいまさらレビューを書くという暴挙に、並々ならぬ躊躇があったことは察して欲しいところだ。
まぁ、でも以前に「フルメタル・ジャケット」のレビューも書いてることだし別にいいかって感じで。
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突然の宇宙人からの侵略、これぞ宇宙人襲来モノだ
地球外生命体が突然地球に接近、コンタクトを試みるも、相手は敵対的な種族でコンタクトに失敗。
抗戦しようとするが、相手は宇宙を超えて地球にやってくるぐらいの科学力を持っているので、当然地球側は為すすべもなく蹂躙される…というストーリー展開は、宇宙人襲来モノとしては割と定番。
というか、のちの作品がこのインデペンデンス・デイに大きな影響を受けていることは間違いないだろう。でもそもそも「インデペンデンス・デイ」自体がH・G・ウェルズの『宇宙戦争』をモチーフにしているわけで、H・G・ウェルズやべえなって話。
展開として割と似ているなと感じるのは「バトルシップ」。
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もちろんこれは割と最近なので、インデペンデンス・デイと比較されることは想定の範囲内だったろうと思う。
もうちょっとポップな宇宙人像になると「マーズ・アタック」なんかが個人的には記憶に残ってる。あれは面白すぎた。そのうちレビュー書く。
宇宙人襲来モノってわりと「まれびと」だよね
上にも挙げたように、宇宙人襲来モノの作品というのは割とたくさんあって、要するにコレ「外からの来訪者って怖いよね」という思想が根底にあると思ってる。
そんで、その外からの来訪者に対する恐怖心って実は別に最近のモノではなくて、日本にも世界中にも昔からあったりする。(まぁ日本の場合島国だったり村社会だったりするので、その影響が強いと見る人もいるのだろうけど)
たとえば日本の例だと「えびす」や「まれびと」なんかがそれにあたる。「まれびと」は神聖な来訪神なんだけど、要するに「神」として扱うということには畏れが伴うということ。
外から来る人に対する警戒と、その外から来る人がなんらかの能力や芸能を発揮して、畏れとともに歓待されるというような話は、六十六部(ろくじゅうろくぶ)のエピソードにからめて、小野不由美氏の漫画「ゴーストハント」でわかりやすく解説されている。(アニメシリーズでは第22~25話)
また、日本各地の伝承として「虚舟」というエピソードがある。海岸に見慣れぬ形の舟が漂着するというものなのだが、その舟の形は明らかに円盤(UFO)っぽい形で、古代にUFOが飛来していたのではないか?と妄想をかきたててくれる伝承だ。
あとは歴史を見ると、日本だけじゃなく海外でも「海からやってくるモノ・ヒト」というのは基本的に「自分たちとは異なるモノ(舶来)」であるから、自分たちが普段接している常識が通用しない=怖い、でも未知のモノだから興味はある、という、怖いモノ見たさみたいなところはあるんだろうと思う。
そのまま同じではないんだけど、多くのヒトが抱く「宇宙人」というモノに対するイメージも、そんなところではないだろうか。
なんで宇宙人は必ず敵対的なのか?
本作「インデペンデンス・デイ」にしろ「バトルシップ」にしろ、「マーズ・アタック」にしろ…いや、ここで挙げている作品以外でも、宇宙人襲来モノは基本的に宇宙人が地球の侵略を企てている。だから、ハナから宇宙人は地球人を敵として認識してきているというわけだ。
(映画的にそうじゃないと盛り上がらんだろって論点は置いておくとして)なんで宇宙人は敵対的なのか?地球に友好を求めてやってくる宇宙人はいないのか?という疑問を持ったことがあるヒトもいるかもしれない。
まぁたとえば「E.T」とか、「メン・イン・ブラック」なんかは、わりと平和的に宇宙人が襲来(いや、この場合は「来訪」というべきだろうか)しているケースもあったりするんだけど。
見分けるポイント的には、「巨大宇宙船」でもって「大量の人員を投じた来訪」の場合には、「そらまあ侵略だろうな」と判断して良さそうか。(「第9地区」のような例外はあるんだけど)
現実的に考えると(といっても、あくまで現代の、地球人としての発想ではあるが)、宇宙空間という何もなく、広大な空間を超えて地球に来訪する宇宙人が、わざわざ友好的な関係を築きたいというアプローチをしてくるだろうか?友好的な関係を築くには、現地の首領と交渉が必要になるだろうから、一筋縄ではいかない。
友好を求めるというのは基本的に見返りが必要なわけで、たとえばそれは貿易であったり、資源の提供であったりするわけだけど、そういう目的で当時は超絶困難だった大航海に乗り出して、一気に貿易相手を見つけて行ったというのが大航海時代。それから少し後になって、アメリカから貿易対象(という名の補給基地としての役割を期待された)として開国を迫られたのが我が国、日本だ。
当時は同じ地球人ですら、言語や文化、制度の違いから、日本の開国には最も効率的な手段が選ばれた。つまり砲艦外交である。
これがさらに多数の、そして決定的な違いがある宇宙人と地球人という交渉の場合、交渉が難航する(というか、そもそも交渉が成立するのか疑問だが)ことは火を見るより明らかだ。
だったら、交渉なんて生温い手段をとらず、現地の政治体制と抵抗勢力を一気に排除して植民地化したほうが効率よくね?と考えるのが普通だろう。相手が同じ人間であればともかく、相手から見れば未開の地の宇宙人だ。心理的な抵抗もあるまい。
というわけで、どちらかというとやはりインデペンデンス・デイなどで描かれているように、初手から最も効率的な攻撃を行って抵抗力を奪い、自分たちの拠点を築こうとするのが現実的だよね、という感覚になる。
地球の兵器は宇宙人には無力なのか?
インデペンデンス・デイでは顕著だったが、宇宙を超えて地球にやってくる宇宙人の艦隊に対して、地球の兵器はほぼ無力だった。
ここに「なんでやねん」と感じるヒトもいるのかもしれないが、実際その可能性は高いと思う。そもそも、宇宙を航行して植民地を探す、知的生命体にコンタクトする時点で、相手の科学力は明らかに地球を凌駕している。
「兵器は自身の攻撃力に見合う防御力を備えている」というのは、武器や兵器に詳しいヒトならイメージしやすいと思う。まぁ構造的にそらそうだろという印象だが、イメージしづらいヒトは「紙と木だけを使って戦車を撃ち抜く大砲が作れるか?」を考えてみるといいだろう。発砲した途端に自滅する。
あとは、直接は関係ないのだが、「宇宙を航行する宇宙船は、デブリや小惑星との衝突に耐えるために相応のシールドを備えている」という視点が「スターオーシャン」シリーズの小説にあった。(確かブルースフィアだったと思う。記憶違いの可能性アリ)
この小説の中では、「ギフト」と呼ばれる秘密兵器として火砲が登場するのだが(要するにロストテクノロジーなだけで、現代兵器と同様の火砲)、宇宙船に対して地上から火砲を射撃した結果、シールドに跳ね返されて地上の街が廃墟と化すという描写がある。宇宙空間のデブリだの小惑星に対応できるシールドを、原始的な火砲ごときで破れるわけないだろ、といったような話だ。
そのように考えてみると、インデペンデンス・デイに出てくるシティ・デストロイヤーとかアタッカーにシールドが付与されているのは納得で、先に挙げたスターオーシャンの展開のように、航空機に搭載されているミサイルだろうが、戦術核ミサイルだろうが、シールドを破ることはできまい。
たぶん、同程度の科学技術を持った宇宙人同士での戦闘であれば、シールドを中和するようなエネルギー兵器などが候補に上がるのではないだろうか。少なくともパワーで破るのは無理そうだ。
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でも、宇宙人をF/A-18が撃墜するところ見たいよね?
とはいえ、やはり地球人の一員としては、地球で開発され、地道に科学者や開発者が改善を重ねて作り上げたジェット戦闘機が、地球にやってきて好き勝手やってる宇宙人どもを叩き落とすところが見たいわけだ。
そこで、インデペンデンス・デイでは「シールドを内部から無効化する」という戦略が採用された。
これこれ、これが見たかったんだよ。地上発射型の対空ミサイル…?黙ってろ、キミの出番じゃない。
演出、演技、メカニックはアツい
ストーリー展開が王道的なのもあるんだけど、映画的な盛り上がりとしてはもうケチのつけようがないんじゃないだろうか。
ウィル・スミスの演技も良い。ウィル・スミスといえばこの映画!と思い浮かべる人も多いかもしれない。
あとこの映画、とにかく「航空機」に全振りなのも特徴的。ウィル・スミス演じるヒラー大尉が乗っているのはF/A-18「ホーネット」だけど、劇中ではMig-31、Mig-25、F-5、F-14、AV-8B、B-2など東西のジェット戦闘機・爆撃機が多数登場する。…が、もっと見たかった!小説版ではこの他にもF-15、F-16、F-111、P-51なども登場するようだ。
大統領が元空軍パイロットであるという設定からも、この映画が戦闘機を主戦力として戦う正当性もわかる。「バトルシップ」では、どちらかというと(まぁタイトル通り)旧式戦艦のバカデカい大砲が主力で、最後の最後に艦載機が助けに来てくれるという展開だった。どっちもアツい。
ただ、戦闘機の計器の表現については必ずしも正解ではない…らしい。元F/A-18 パイロットのYoutuber、「C.W. Lemoine」氏の動画によると、シティ・デストロイヤーに攻撃を仕掛けるヒラー大尉のF/A-18の(ディスプレイ上の)状態は「左の圧力が異常に高く、発電機はオフラインで、油圧1がダウン、キャノピーは開いている」状態だそうだ。最悪の悪夢である。
楽しみ方は「バトルシップ」と同じ
エンジニアな人とか現実至上主義な人とかは、「なんで未知のシステムに地球のコンピュータウイルスが通用したの?ねえねえなんで?」と聞きたくなるものかもしれない。それは職業病なので仕方がないが。
当然、もし、仮に、万が一この映画と同じ展開になったなら、どう考えても地球のコンピュータウイルスではウイルスを感染させることはできない。そんな共通のコンピュータ言語があったら、エンジニアさん失業しまくりで大変なことになる。
…のだが、こう考えてみてほしい。
「要するにシールドが破れなきゃ勝てないんだから、これで良いんだよ」と。
コンピュータウイルスが通用したから、世界各国の空軍がなけなしの戦闘機をかき集めて最終決戦に臨めて、大統領がイキイキと航空機で飛び回り、飲んだくれのラッセルが最後の最後に男を見せた。
この爽快感を味わうためには、あのコンピュータウイルスが通用する必要があった。
言い換えれば、神がそれを望まれたのである。そう、映画の神が。だからこれでいいのだ。
「バトルシップ」と同様に、この映画はリアルさよりもアツさを楽しもう。ポップコーンを食べて、歓声を上げて、ウィル・スミスに親指を立てよう。
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「英雄的行為」の代償
最後の最後に少しだけ気になったのが「英雄的行為の代償」だ。
かつてアブダクション(宇宙人に誘拐)されたと主張するラッセル・ケイスは、うだつの上がらない酒浸りの生活をしていた。周囲からも疎まれていたが、家族のことを深く愛していた。
そういうラッセルだからこそ、最後の最後に家族を守り、宇宙人への復讐としてシティ・デストロイヤーに飛び込むことになってしまった。
いや、どうしようもないこともわかっているのだけど、どうにかしてラッセルは助かってほしかった…そこだけが少しだけ残念だった。
ちなみに小説版ではまた違った展開なのだが、ラッセルはやはり犠牲になる。
ちょっと政治的なことも
この映画のキモはやっぱり、全世界の残存航空戦力をかき集めて最後の反攻作戦を決起するところだろう。
ここをもう少し粘着質に…いや、言い換えれば、悪意を持って見れば、「それを誰が、誰の名のもとに指揮するのか?」という問題に行き当たる。
「インデペンデンス・デイ」という名前、7月4日という日付、舞台…それらを総合的に見ると、どう考えてもこの劇中では、「アメリカ大統領が、アメリカ大統領の名のもとに人類を統合し、宇宙人へ反抗する」ということになるだろう。
まぁ当然だ。ここで突然例えば日本人が仕切りだしたら誰だって怒る。日本人だって困惑する。ロシア人であれ中国人であれ同じだ。
まぁ、「アメリカの覇権主義だ」と批判したくなる気持ちを持つ人がいることも理解できる。しかしそれは、ラストシーンになって言うべきことではない。
この映画は最初から最後までアメリカを舞台として描かれ、アメリカの人々にスポットを当てて描かれた作品だ。大統領の「トーマス・J・ホイットモア(演:ビル・プルマン)に最初からスポットライトが当たっているのだから、そこは尊重するべきだ。
そして劇中では、アメリカでの反攻作戦と同時刻に、世界各地で反攻作戦が開始されていることも言及されている。つまり、モスクワの空で、東京の空で、ロンドンの空で、それぞれ同様に全世界の人間が戦っており、その中の一幕を描いた作品だと解釈してみてはどうだろうか。
そして、実は次作「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」では、このホイットモアの名演説と宇宙人への反攻作戦を契機として、反攻作戦後の人類の団結具合が語られている。まさしく、「人類にとっての独立記念日となった」わけだ。
まとめ
名作なのでほとんどの人が一度は見たことがあると思う。
もう一度見てみてほしい。
政治の話は抜きにして、宇宙からの招かれざる客を、AMRAAMで出迎えてやろう。
『地球へようこそ!』