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【アニメ】「よみがえる空 -RESCUE WINGS-」一発も銃弾を撃たずに戦う「救難隊」の姿

※当然のことながらネタバレを含むので、未視聴の場合には閲覧に注意されたい。

 

 

なんのきっかけで見たのだったか忘れてしまったが、強烈に印象に残っている作品。

 

日本の空を守る航空自衛隊の中でも、スクランブルなどで目立つ活躍をするF-15Jなどの「戦闘機」ではなく、災害派遣などで人名救助を行う「救難隊」の活躍を描いた作品。

 

普通人命救助というと、救急隊員や消防隊員をイメージするのだろうが、大規模災害の場合には自衛隊(防衛省)へ派遣要請が行われる。

 

1995年に発生した阪神・淡路大震災や、2011年に発生した東日本大震災でも、自衛隊は様々な部門で災害派遣が行われている。

 

さて、ざっくりしたあらすじとしては…

 

航空自衛隊小松基地の救難隊にヘリパイロットとして配属された「内田一宏」が主人公。

 

内田はもともと戦闘機パイロットを目指していたものの、ヘリパイロットとならざるを得なかったことから、心の中にわだかまりが残っている。つまり、救難活動というのは内田にとっては「目指していた姿」とはギャップのあるものだし、畑違いもいいところだったわけだ。

 

しかし災害はタイミングを選んでなどくれなかった。遠距離恋愛中の彼女との電話を待っている際に基地とは別の地域で巨大地震が発生。訓練期間中だったが、見学として被災地へ同行、救助に参加することになるが…というストーリー。

 

 

救難隊の仕事と訓練がイメージできた

 

繰り返しになるが、航空自衛隊というとまず真っ先にイメージするのがF-15JやF-2に乗る「戦闘機パイロット」だろう。人により印象は違うかもしれないが、やっぱり大空で活躍するパイロットのイメージはジェット戦闘機だという場合も多い。私も基本的にはそうだった。このアニメを見るまでは。

 

「よみがえる空 -RESCUE WINGS-」でも、主人公は最初戦闘機のパイロットを目指していたものの、救難隊のヘリパイロットとして配属されることになる。このミスマッチについてはあとで言及するが、作品を見終わる頃には、「ヘリパイロットってすげえ…」「救難隊ってすげえ…」と、ジェット戦闘機パイロットとはまた違う魅力に気づくことができるだろう。

 

救難隊は、少なくともこのアニメに登場するような災害派遣や、人命救助の場面においては、一発の銃弾も撃たない。しかしながら、彼らが「戦っていない」わけではない。彼らはいろいろな理由で命の危機に瀕した人々を助けるために日夜戦い、訓練に勤しんでいる。

 

自衛隊や軍隊が民衆にとって大人気となるような事態というのは、他国から攻撃されているとか、戦争で勝ち続けていて国民がそれを支持しているとか、軍隊の待遇が国民の一般的な就労状況より良いとか…基本的にはあまり健全な状態とは言えないかもしれない。

 

しかし彼らは、恵まれているとか国民から感謝されるとかそういうこととは一線を引いて、粛々と磨かれた技能を救助のために使っている。自衛隊の「カッコよさ」というのは、こういうところにポイントがあるようにも感じる。

 

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緩急のある展開が良い

 

「よみがえる空 -RESCUE WINGS-」は、全13話。第一話は主人公の内田一宏がヘリパイロットとして小松基地へ配属となり、小松へ引っ越してくる情景が描かれる。

 

内田の絶妙な「気の利かなさ」や、本来志望していた部門との違いに整理が付いていない様子などが示唆され、はっきり言うと一話の段階では「爽快感」はない。

 

やや単調にも思える描き方は、一話後半と二話前半で一気に緊迫したものになる。巨大地震の発生と、TR訓練中の内田がオブザーバーとして被災地へ同行する。

 

救助活動を通じて被災地のリアルな現場に遭遇し、また自身が好意で行った「ネコの救助」が、思いがけず別の被災者の命を失わせる結果となってしまったことは、その後の内田の救難隊としての活動に大きな影響をもたらしているように思う。これは二話のエピソードで完全に「掴みに来たな」と感じさせられた。緩急の付け方が良い。

 

大災害とそこで発生した子どもの被災者、軽はずみな善意がもたらした二次災害、海上自衛隊の護衛艦「はるな」への緊急着艦、停電した病院での着陸のために、乗用車が総動員されてライトアップされる駐車場、被災者の死を聞きつけて駆けつけてきた葬儀業者とのトラブル(まぁ、このあたりは彼らも商売だから仕方ないけどね)など、このあたりは演出がものすごく良い。

 

この後のエピソードでも、内田は決して「天才」とか「適性」とは無縁の、失敗続きだったり「今一つ」な期間を乗り越えていく。

 

上官となる「鬼軍曹」こと「本郷修二郎」との対立を経て、最後は本郷からも(直接ではないが)認められるほどに成長していく。それは技能という面だけではなく、救難隊としてのメンタルセットや「救助される側の立場への理解」というところもあるのだろう。

 

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救難隊の面々の描き方も良い

 

脇役(といってよいか悩むが)の救難隊の面々の描かれ方もよかった。彼らは救難隊で活動している内田の先輩や上官であり、救難に関してはベテランだということになる。

 

しかし、彼らも仕事が終われば一人の人間だ。そういう「日常の顔」みたいなものが描かれつつ、真剣に救難に向き合う面々のギャップも見どころのひとつだ。

 

代表的なのは本郷修二郎だろう。災害派遣や訓練、内田への態度はまさに「鬼軍曹」そのものの厳しい上官だが、家に帰れば娘を溺愛する優しいマイホームパパだ。

 

そして、彼が救難に配属となった経緯も作中で明かされる。自衛隊機の墜落で救助に向かうことになったエピソードは、本郷の過去と救難の仕事の本質に迫る回だったということだろう。

 

本郷は救難の困難さを理解しており、人命を失うことの恐ろしさ、悲しさを人一倍理解していた。内田への厳しい叱責と、内田をはなから「腰掛け」と罵倒していた様子、それでも内田を突き放さなかった態度は、このあたりに由来しているのだろう。

 

降下救難員(メディック)の面々もよかった。久保・鈴木・黒木・白拍子らとともに山岳訓練に同行した回では、おちゃらけて酒盛りを楽しむメディックの面々と、一転、訓練では激しい怒号や叱責が飛ぶ様子が見える。

 

このようなメリハリが必要となるのも、彼らが人命救助の「最後の頼みの綱」となるべき人々だからだ。

 

自衛隊の救難隊にのしかかる重責

 

自衛隊は法律によって成立している。救難隊の本来の仕事とは「自衛隊員の救助」であることは本編でも触れられたとおりだ。

 

しかし、税金によって自衛隊が維持される以上、国民の身体に危険が迫る災害の場面で自衛隊が出動しなければならない。本来は「業務外」と言えてしまいそうなものだが、そうはならない。

 

人命救助の最前線は、本来は消防や救急であるべきだ。しかし、消防や救急が到達できない状況・場所での救助は、自衛隊の出番ということになる。そしてそれは同時に、自衛隊が「自分たちにはできない」と言ってしまえば、およそ国内で救助できる存在はいないことになる。

 

戦場での活動を前提としたUH-60Jをはじめ、軍隊としての訓練を受けている救難員のいる自衛隊は、名実ともに日本国内でトップの技能と装備を保有していることになるからだ。

 

それは彼らにとって仕事のやりがいでもあり、栄誉でもあるが、同時に重荷でもある。

 

救助される側にとって、自衛隊は文字通り「最後の砦」であるからだ。

 

必然として「死」が描かれるが、同時に「救い」も見ることができるアニメ

 

救難というテーマを扱う以上、救助活動を展開しても死亡してしまう要救助者もいる。しかし、それと同時に救われる命もある。

 

雪山の回では、登山パーティのうち救助できたのは一名のみだった。それでも、ヘリパイロットである本郷が負傷し、メディックも命の危機にさらされながら救助した一名には意味がある。

 

白拍子は救助できた数とできなかった数を「勝ち負け」と表現しているが、それは彼の性格ゆえなので、「勝ち負けではない」と批判すべきではないだろう。

 

彼らのモチベーションは、たった一人でも要救助者を生還させること。そのために日夜血の滲むような努力を重ねているし、本郷の言葉を借りれば「自分なりの努力」や「自分なりのベスト」ではなく、何が何でも救助するのだという「覚悟」のもとに出撃している。

 

まとめ

 

航空自衛隊の全面協力によるメカニックや離陸シーン、フォネティックコードなど、「自衛隊らしさ」や、「自衛隊ならではの問題」にも思いを馳せられる良いアニメだった。

 

しかし、昨今のアニメとは違い「内心のセリフ」がほとんどなく、主人公の表情や間、行動からそれを読み取ろうとする努力が視聴者に求められる作品だ。なので、目を離さず集中して見て欲しい。

 

集中して見て初めて、このアニメの素晴らしさに気づくことができるだろう。