やまねこのたからばこ

やまねこが見たもの聞いたもの ※ページ内に広告が含まれます※

MENU

【映画】「ツレがうつになりまして。」うつを経験してから見ると、結構しんどい

※当然のことながらネタバレを含むので、未視聴の場合には閲覧に注意されたい※

 

J:COMで放送していたので。堺雅人出演の映画版の方。
個人的に、やまねこ自身の体験を2度、別の味で味わわされる映画だった。

 

 

というのも、自分自身が(もう10年以上前になるが)うつ病を経験している。(症状が一切気にならなくなるまで5年ほどかかった)
そして現在進行系で、やまねこにはうつ病の家族がいる。
そういう意味で、「はー、うつ病って大変だな~」以上の感想があった映画だった。

 

 

 

「うつ病は心の風邪」という言葉の正しさと間違い

 

 

この劇中でも登場するのだが、「うつ病は心の風邪」という言葉がある。

 

これは、「誰でもかかる可能性がある」という意味で完全に正しい。心の強さ弱さということではなく、環境、状況、対人関係、金銭関係、家族・家庭関係、仕事…人生におけるいろいろなタイミングに、すべてうつ病になるトラップはそこらじゅうに少しずつ埋設されている。

 

どれか一つを踏んだら即発病というタイプのトラップではない。イメージ的には、目に見えない、痛みも感じない毒針を打ち込まれるタイプのトラップだ。それが気づかないうちにいくつも身体中に刺さっていて、あるとき突然にガクッと膝が崩れる。

 

ただ、この「うつ病は心の風邪」という言葉には、誤解を招くと思う部もある。「風邪なのだから養生すれば治る」というふうにも聞こえるし、「風邪なのだから大したことはない」というふうにも聞こえる。

 

しかし、実のところ、うつ病って完治しないともいわれる。症状がほとんど日常生活で気にならないレベルになる「寛解」はあるらしい。やまねこは今その状態をキープしてるんだろうなとなんとなく思う。

 

スポンサーリンク(広告)

 

 

「どんな症状がある?」というより「なにもできなくなる」が正しい

 

「気分が落ち込む」とか、「寝付けない」とか、うつ病に関してはいろいろな症状が出ると言われる。でもじゃあ「それぞれの症状に個別にアプローチすればまともになるか」って言われると、たぶん無理なんだよな。

 

 

眠れないから睡眠薬、気分が落ち込むから抗うつ薬、頭が痛いから頭痛薬、お腹が痛いから胃腸薬…実際、いっときは薬だけでもうコレ一食分ぐらいじゃねってレベルで服用してたけど、飲んだからといって体調が良くなるわけでもない。まぁ、薬を飲んでいたからあの程度で済んだっていう見解もあるだろうけどね。

 

やまねこは医者じゃないので症状の本質はわからない。ただ経験者として言うなら、「何もできなくなる」のが本質だと思った。何か行動をしようにも考えがまとまらないから。

 

たとえば、「ちょっと散歩でもしてみたら気分が晴れるよ」と言われても、散歩をするには服を着替える、外の気温や天気を見て服装を決める、どのあたりを歩く、どれくらいで帰ってくる、何を持って歩く、そういうことを判断するのにものすごく時間がかかるし、そこに悩むことで疲れるから結局何も行動しない。このあたりは劇中でも軽く描写されている。

 

結果的に、よくWebサイトとかで「これでうつ病が治った!」みたいな体験談とか、「こうするといい」っていうハウツーみたいなことのほとんどが、まず役に立たない。

 

患者本人に何かをさせるには、家族や友人、恋人…なんでもいいが、ごく近しい人間によるサポートが必要だが、近しい人間が「治す」こともできない。症状を軽快させるのはあくまで本人だ。

 

うつ病の人間の不幸は、周囲を消耗させることとそれによる自責だ

 

劇中でうつ病を発祥した「ツレ」こと、「髙崎幹夫」(堺雅人)がうつ病になると、妻の「髙崎晴子」(宮崎あおい)が幹夫のサポートをすることになる。

 

もちろん、夫婦でお互いに愛情があれば、家族として相手がうつ病になったとしても支えたいと思うことはおかしいことではない。むしろ自然とも言える。

 

…のだが、家族だって人間だ。限界はある。

 

重病で見るからに具合が悪い末期がん患者でさえ、それを何年もサポートするのは大変だ。ましてや、ぶっちゃけうつ病は見た目でそれとすぐにわかるものでもない。熱もない。咳も出ない。倒れるわけでもない。

 

症状が見えないからこそ、日がな一日ベッドや布団にへばりついて寝ている人間をサポートする家族には、当然精神的に負担があるし、時には陰惨な感情が浮かぶことだってある。

 

甲斐甲斐しく幹夫のサポートをしていた晴子が幹夫に声を荒げるシーンは、実はけっこう重要な意味を持っていると思う。

 

家族ならサポートして当然、と考えるのは残酷なことなんだよな。少なくとも、サポートしてる家族自身が言うならともかく、それ以外の人間はそこに口を出す権利はない。

 

ただ、そうして負の感情を抱かせてしまうことによって、患者本人にも負担になる、そうしてさらに破滅的な行動をすることがある。劇中で幹夫が見せた反応がまさにそれだ。

 

こうなると、サポートしている家族にとっても、患者本人にとってもどちらにも不幸を生み出すことになる。これがうつ病の本当に厄介なところだ。

 

やまねこはうつ病の相手と向き合うに当たって、決めていることが3つある。

 

・たとえ恨まれても憎まれても生かし続けること
・楽しい嬉しいと思うことを1つでも多く経験させること
・良いと言われることはひとつでも多く試すこと

 

医療従事者でもないやまねこができるのはこれだけだ。

 

晴子が四苦八苦しながら、いろいろな方法で幹夫をサポートしようとした描写とおおむね同じだと感じた。だからこそ印象に残った映画となったのだ。

 

スポンサーリンク(広告)

 

 

気分の落ち込みを「そんな日もある」と本人が笑い飛ばせるようになればゴール

 

個人的にはこう思っている。

落ち込む日や何もする気が起きない日というのは、別にうつ病患者じゃなくたってあるもんだ。

人間ってそういうもんだよな、だから自分もそれでいい、頑張れるときに頑張ればいいさ、そういうふうに本人が笑い飛ばせればゴールでいいんじゃなかろうか。

 

結論

 

見ることで、「うつ病」にかかった本人、その家族がどうなっていくのか、その「良い例」を見ることができる。

見ておいて損はない映画だと思う。