やまねこのたからばこ

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【映画】「クリスマス・クロニクル」サンタクロースが運ぶのはオモチャなんかじゃない。沢山の「ねがい」だ。

※当然のことながらネタバレを含むので、未視聴の場合には閲覧に注意されたい。

 

ネトフリで配信していたので見た。予告編を見てコレはおもしろそうだと思って見たらやっぱりおもしろかった。

 

www.netflix.com

 

ざっくりしたストーリーとしては…

 

マサチューセッツ州ローウェルに住む、母一人と子二人の家庭。二人は兄妹で、兄は「テディ・ピアース(演:ジュダ・ルイス)」、妹は「ケイト・ピアース(ダービー・キャンプ)」。

 

まだ二人とも子どもだけれど、昨年に事故で父親を亡くしている。それから兄のテディは車窃盗をしたりと、やや荒れた生活をしている。夜勤続きの母は二人を心配しつつも迎えたクリスマスの日だったが、結局その日も夜勤に行かなければならないことに。

 

兄妹二人だけで過ごすクリスマスイヴの夜、父親が遺した古いビデオカメラでホームムービーを見ていたケイトだったが、その映像の中に家族のものではない腕が映り込んでいるのを発見してしまう。

 

サンタクロースの姿に違いないと確信したケイトは兄テディと協力し、サンタクロースをムービーに捉える作戦を立てる。

 

母親から禁止されたジャンクフードを持ち寄り、二人で夜を徹してサンタクロースの訪れを待つテディとケイト。いつしか眠りについてしまっていた二人だったが、やがて室内に響いた音は、ケイトがサンタクロースが来たらすぐにわかるように仕掛けたトラップの音だった。

 

ビデオカメラを持って外に飛び出した二人は屋根の上をまるでニンジャのように高速移動しながらプレゼントを配るサンタクロース(カート・ラッセル)の姿を目撃。

 

そして近くに止まっていたサンタクロースのソリに乗り込み、サンタクロースを間近で映像に収めようとするのだが、飛行中に子どもが乗っていることに気が付いて驚いたために、サンタクロースは操縦を誤りソリを墜落させてしまう

 

このままでは子どもたちがプレゼントを受け取れない、そうすると「クリスマス・スピリット」の値が下がり、世界中で大変なことが起こってしまう。クリスマスを守るため、二人の子どもはサンタクロースのヘルパーとして、クリスマスイブの夜の街を駆け回ることになる!というストーリー。

 

 

まず断っておくが最高の映画だ

 

実のところ、この映画を見る前はそこまで期待していなかった。まぁディズニーっぽい雰囲気の大冒険をしちゃうんだろうなこの子たちが、くらいの感覚だった。

 

つまり、クリスマスイブの日の昼間の時間を、特に大きな気持ちの変動もなく過ごすお伴にしようなどと考えていたわけである。

 

しかしその考えは、良い意味で完全に裏切られることとなった。

 

ギャグはテンポが良く、しつこさがない

 

もしもコメディ映画に全振りしていたら、たぶんここまで「よかった!」とはならなかっただろう。「クリスマス・クロニクル」は、「プレゼントを届けなければならない」という崇高な使命のもとに3人が奮闘するストーリーであり、徹頭徹尾ギャグで進んでいたら、「そろそろ真面目にやれよ…」と思っていたに違いない。

 

しかし実際にはそうはならず、劇中にときどきクスッと笑えるギャグがちりばめられている。

 

いや、留置所にぶち込まれるサンタクロースはおもしろすぎる。「私はヨーダじゃない、サンタクロースだ」も笑う。

 

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ハートフル要素が心に沁みる。クリスマスとは希望そのものだ

 

劇中盤には、映画のお約束として「困難な状況に追い込まれる」主人公たちが描かれる。そしてそこで明らかになる「事情」がある。テディはなぜあんなにやさぐれてしまったのか。それでも彼が「悪い子」に完全に堕ちてしまうことはないだろうという視聴者の心情は、ここで完全に彼を力いっぱい応援したくなる展開になる。

 

人間が生きていれば、それなりの葛藤に遭遇することもある。ときには悪の道の誘惑にあらがえないことだってあるのだろう。でも彼は、見事に「自分自身」を取り戻すことに成功した。遺された母親と、幼くも身近で兄を見続けてきたケイトの二人は、テディを信じていた。家族の絆がここにある。

 

サンタクロースが留置所に入ってしまうシーン、そして留置所の中にいる人々と一緒にクリスマスの夜を一時的に過ごすシーンは完全にギャグなのだけど、実はここも大切なシーンだ。何らかの罪を犯して、クリスマスをあの場所で過ごさなければならなくなった彼らにも、もちろん子ども時代はあった。そして子どもの頃には、彼らもまた夢と希望を持ち、自分の「ねがい」をサンタクロースに叶えてもらってきた。

 

今は道を違えていても、サンタクロースは彼ら一人一人をすべて覚えている。サンタクロースにもらったギターを一生懸命に練習していた姿も、そしてそれから月日が流れてそのギターを質に入れてしまったことも。それでも彼らの「ねがい」はサンタクロースに届いていたわけだ。そして、テディの「ねがい」も。

誰もが願ったサンタクロースの姿

サンタクロースは「いい子」のところにしか現れない。悪い子には石炭のプレゼントだ。

 

劇中には「悪い子」も登場する。留置所のシーンやバーのシーン、たまり場のシーンなどがそれだ。

 

この劇中で描かれるサンタクロースは、おそらく聖人ではないし、「宗教的正しさ」を人々に守らせる存在でもない。それでも、「悪い子」にはきっと段階があるのだろう。つまり、「いい子とは言えなかったけど、まだ石炭をプレゼントされるほどではない”子”たち」だ。

 

サンタクロースがこれらをどのように判断しているのかはわからない。いわゆる「悪い子」に対しても、サンタクロースはコミュニケーションを拒否したりするわけでもなく、「お前など知らない」と拒絶するわけでもない。ただ淡々と、「子ども時代」の話をするだけだ。

 

ケイトとテディも、ソリを墜落させた段階では、間違いなくサンタクロースにとって「悪い子」だったのだろうけど、彼らには挽回の機会が与えられた。しかしそれは、「彼らにたまたま機会が与えられた」のではなく、「誰でも、いつでも、自分の行動を改める機会はある」のだろう。

 

そしてサンタクロースは、「行動を改めるなら許してやろう」というような、「裁判官」ではない。あくまで中立的に、直接子どもたちに口を出すこともなく、遠くから「見守っている」存在だ。このあたりの態度は神様っぽいよなーとも思うんだけど…

 

なんだろうな、説教臭さがないから、あまり押しつけがましく感じないのかもしれない。そして宗教のあるべき姿って、本来はそういうものなんじゃないかなーと思ったりもする。

 

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袋の中には「子どもたちのねがい」が詰まっている

 

サンタクロースの袋の中のシーンでは、おそらく世界中の子どもたちからの「ねがい」が彼に寄せられていることがわかる。

 

幼いころ、サンタクロースに願い事をしたことがある大人であれば、懐かしい思いや、純粋に自分の欲しいものを「欲しい」と言える彼らの姿に思うところがあるかもしれない。

 

テディは「サンタはビデオレターなんて読まない」と言っていたが、もちろんそんなことはなかった。そしてテディ自身も、本当はそれがわかっていたのではないだろうか。今回の劇中のような出来事を経験しなかったら、彼は本当に「悪い子」になっていただろうか。

 

サンタクロースは子どもにしかプレゼントを渡さない。しかし、大人だって子どもの頃はきっとサンタクロースからプレゼントをもらっていたはず。クリスマス・スピリットとは関係なく、子どもたちの「ねがい」のために奮闘するサンタと兄弟二人の姿は、まさしく子どもたちの「ねがい」を守るヒーローに他ならない。

 

いろんな映画で感じる「っぽさ」が随所にある

 

見る前は「ディズニーっぽさ」があるのではないかと思っていた。そして、それは「なくもない」ということになる。序盤で上空をソリが飛行するシーンなんかはまさにそれ「っぽい」。

 

エルフとかはファンタジー感があるけど、頭からしっぽまでファンタジーかというとそうでもない。エルフはどっちかというとミニオンズっぽいかなーって印象。けっこう凶悪やんけ!ってなるし。

 

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子どもたちが頑張って使命を全うしようとする姿は、なんかの映画の空気感に似てるなーって思っているんだけど、思い出せないからそのうち思い出したら名前上げる。

結論

子どもがいる人は一緒に見よう。

子どもがいない人も見よう。

人の「ねがい」を叶えられる人は誰だってサンタクロースだ。