※当然のことながらネタバレを含むので、未視聴の場合には閲覧に注意されたい。
Xで凄惨な描写とムナクソ展開が衝撃だったというようなレビューを見て鑑賞。
視聴後は確かにムナクソ感はあるのだが、冷静になると、実は他の作品にはない魅力があると気付かされる作品だった。
ざっくりしたストーリーとしては…
舞台は台湾。平凡なカップルである「カイティン(演:レジーナ・レイ)と「ジュンジョー(ベラント・チュウ)」がメインの登場人物と言っていいだろう。
ジュンジョーはいつも通り、出社するカイティンを駅まで送り、帰りに飲食店に寄っていた。そこへ、異様な風貌で目が黒くなっている老婆が訪れ、突如として他の客に唾を吐きかける。唾を浴びた客は凶暴になり、周囲の人々に襲いかかるようになり、かくして街は地獄絵図へ変わっていく。
この事象は、「アルヴィンウイルス」と呼ばれるウイルスがもたらす感染症だった。アルヴィンウイルスの危険性については、ウイルス学者の「ウォン博士(演:ラン・ウエイホア)」がウイルスの突然変異に対してかねてから警告を発していた。
しかし政府は、過剰反応で社会不安を煽る、政治的影響があるなどの理由から、このウイルスに対する情報提供を渋っていたのだった。(なお感染経路は不明ながら、吐いた唾からも感染するので体液感染の説が濃厚か?)
さて、仕事に向かっていたカイティンにも危機が迫っていた。地下鉄で隣に座ったサラリーマンにしつこく話しかけられ迷惑していたカイティンは、つい強い口調でサラリーマンを遠ざけてしまう。しかしこのサラリーマンもまた感染者であり、居合わせた別の女性「シェン・リーシン」 (演:アップル・チェン)の片目を傘の先端で突き刺す。さらに車内は、他にも乗り込んでいた感染者によって血の海と化す。
病院・駅などの公共施設や学校までもが感染者に侵されていく中、カイティンとジュンジョーは合流を目指すが…というストーリー。
グロ表現はR18どころではない
さて、この映画だが、基本的には「スプラッタホラー」に該当するジャンルだ。血はドバドバ出るし、「痛い」表現には事欠かない。また、アダルト要素がありそれもまた恐怖と不快感を増大させる。
日本のレーティングではR18+の指定となっているが、その理由が「患者の命にかかわる病院などの公共施設での凄惨なシーンがあるため」らしいが、そこかよ、と思えるほどに凄惨な描写が多い。
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視聴中は思わず目をそむけたくなるし、視聴後にもやや不快感が残るこうしたグロ表現だが、単なる暴行や殺害ということではなく、「他者を痛めつける」ということに特化していることも特徴的。つまり即死させることを意図しておらず、相手が苦しむやり方、苦痛が続くようなやり方を選んでいる感染者の存在は恐怖するべきポイントだ。
このような感染者の行動について、作中では「ウイルスによって脳の辺縁系に変化がもたらされ、他害行為を抑制できなくなる」というような説明があった。
そうすると、人間の攻撃性が増したというよりも、むしろ本性が明らかになったと表現するのが適切なのだろうか。
パニックホラーとしては難しい問題をはらむ
都市に感染症が蔓延して、感染者が健常な人間を襲う…というストーリーでは、「ドーン・オブ・ザ・デッド」や「バイオハザードシリーズ」のようなゾンビものが多い。
ただ、どちらかといえばそれらの「ゾンビもの」シリーズは、すでに人間であることをやめている感染者なので、登場人物に極めて親しい間柄だったゾンビでもなければ、主人公サイドはそのゾンビを排除することにほとんど抵抗がないという描写だ。(バイオハザード2では、ゾンビ化した近親者を殺さずに縛り付けて隠匿している人物が登場するが。)
しかし、この「哭悲/THE SADNESS」での感染者は、あくまで「凶暴化した病人」である。ゾンビ化しているわけではない。症状の態様は狂犬病に似ているということだが、ウイルスによる性格の変化が可逆的なものなのか、それとも不可逆的なものなのかという点は描写されていない。つまり、「治療の余地があるかもしれない」ということだ。
先に挙げた「ゾンビもの」シリーズでは、バカスカ銃を撃って感染者を排除して脱出する、というガンアクション要素があるのに対して、「哭悲/THE SADNESS」では、ほとんど戦闘シーンが描かれず、「いかに逃げるか」というような展開だ。
冷静に考えてみると、「感染者」を市民が銃で排除するという事態ってまぁまぁ問題あるよなという感想。確かに周囲の人間を襲うという行動をとっているものの、公的には「生きている人間」だ。それを銃を使って排除することが、ごく普通に受け入れられていることのほうが不自然だと考えるべきだろう。
一般市民が銃を使って感染者を撃つことが問題であるならば、軍隊や警察だって同様だ。彼らは、政府によって感染者が「排除すべきものだ」という決定が下った場合に限り、また「武器の使用を許可」した場合に限って射撃することができる。
ただ、こうした決定は現代の、しかも高い人権意識が確保されている台湾では難しかろう。なにしろ政府が、「生きている病気の市民を、軍隊・警察が射殺しろ」という命令を出すことになるからだ。当然、真意はいろいろとあるにしろ、議会や市民の反発は免れない。
そうなると、警察や軍隊は「武器を使えない、役に立たない集団」であるばかりでなく、むしろ「武器を所有しているのに使えない」という危険な存在になる。なにしろ、「哭悲/THE SADNESS」の感染者は、自身の他害欲求をコントロールできなくなっているにすぎない、「知能に問題のない市民」だからだ。
知能を損なっていない感染者たちが、より効率よく他害行為をしようと思えば、むしろ警察や軍隊は積極的に狙われることだろう。相手が自分を射撃してこないであろうことが想定され、かつ武器が手に入る可能性が高いためだ。
実際、病院のシーンでは警察官2名は為すすべもなく感染者によって悲惨な末路を遂げることになる。
知能に問題なく、ただただ凶暴化するウイルスって実はめちゃくちゃ厄介で怖い。なにしろもし実際にコレが発生したら、有効な対抗手段はほとんどない。
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結末はムナクソだが納得感はある
さて、核心となる結末についてだが、欲を言えば「納得感はあるが、もう少しなんとかなってほしかった」という結末だった。
ジュンジョーはどこであのような状態になったのかの明確な説明はなかったが、感染者との戦いの中であろうか。
カイティンの結末については、ウイルスを注射されているとはいえ、抗体の要素があったことから重要人物であったはずだ。しかし、ウォン博士を伴っていなければならなかったということだろうか。
だとすれば、それが原因で台湾全土どころか全世界で感染を食い止める可能性の芽を潰してしまったのではないか。とはいえ、迎えの兵士?も確かに、迎えに来た対象者がいなくてよく知らん女性が一人で待ち合わせ場所に来たら、そりゃ排除するよねという納得感はある。
救われない話だったが、不自然さはなく納得感はある。むしろ救われないからこそのホラーであるとも評価できるか。
特殊メイクによって作られた凄惨な描写は、同じスプラッタ系の「ホステル」などよりも鮮やかで精巧。スプラッタシーンに突入する飲食店のシーンでの、熱した油を浴びた店員の末路はかなりヒドイ。
スプラッタ好きにはなかなか刺さる作品であろうと思う。見る人を選ぶが、話題になっただけあり、見て損はなかった。
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